第2話 変な人

静まり返る教室内。

「・・・・・・・・・あれ?喜ばないの?」

喜ぶはずもなかろう。

時刻は11時55分。

あと5分でホームルームは終わり、生徒たちは帰路につく。

ざわざわと入学初日らしい周りのクラスの雰囲気からは孤立した空間。

増築等のため、物理的にも孤立はしているが。

轟はそんな空気を察知したか知らずか、口を開いた。

「別に強いというのは、フィジカルの話じゃないよ。メンタルだけでもない。勉強だって、数学に強い奴や英語に強い奴がいる。音楽や美術に強い奴がいるかもしれない。勉強だけじゃなくたっていい、部活とかな。サッカーでドリブルだけ強い奴。天体観測部では、星を見つけることに強い奴。趣味もそうだ。アニメに強い奴、ものづくりに強い奴、魚を釣って捌くことに強い奴。色々いるよな」

その目はどことなく遠くを見つめているようだ。

「ただ俺は今、『上手い』とか『詳しい』とかそんな言葉は使わなかった。ただ一つ『強い』という言葉を使った。この意味は分かるか?」

轟はそう言い放って、クラス全体を見まわしながら一息をつく。

少しは教師らしくしようとしているのか、あるいは職業病で自然に体がそうさせているのだろうか。

するとクラスの真ん中にいる、いかにも不良そうなひょろ長い生徒が一人いるのを見つけた。蛍光灯の下でとがった黒髪が微妙に茶色く色づいて見えることから、髪を黒に戻したのがわかる。

「はい君、真ん中ひょろ長いの。名前が・・・・・・那賀川か」

「あ、俺っすか?」

轟は手元の座席表を見て、彼をご指名した。

「そうだよ。なんだと思う?」

鋭い目つきの那賀川一木は、机に立てた肘の上に顎を置いて答えた」

「悪りぃ、話聞いてなかったっす。どうでもよすぎて」

那賀川の態度に、ビクつく周りの生徒。

那賀川の威圧感もさながら、轟先生から雷が落とされるんじゃないかという不安が襲ったのだろう。

しかし轟の反応は、まったく逆だった。

「おお、正解だ。俺は今、高校生活においてどうでもいい話をしている。分かってるんじゃないか、那賀川

轟は、那賀川の回答を真っ向から肯定した。

生徒達はホッとしたのもつかの間、ある疑問が浮かんだ。

どうでもいい話とはなんだ。いって彼ら(彼女ら)も、一日の大半の時間を高校生活に費やす。無駄な時間を教師に造らされるなんて、納得いかない。

「俺はそのどうでもいい話を大事にしている」

生徒が皆、顔を上げた。

「みんなが受ける授業は、国が決めたカリキュラムに沿って進める。でもそこから将来の為になるものなんて、ほんの一握りしか見つからない。『ありおりはべりいまそかり』とか『水兵リーベ僕の船』とか、何の役にも立たないことは俺が身をもって実証している。」

話の趣旨はおろか、轟が挙げた言葉すら知らない生徒たちは、黙っているより他にない。

「でも世の中には、特定の事に関して『強い』奴はたくさんいる。それを自分で気づいている奴はビジネスにしているし、気づいていない奴は趣味か他の人の事に役立っていることが多い」

「だから何スか?腹減っているんですけど」

12時のチャイムが鳴る前に他のクラスがホームルームを終えて帰宅し始めているのを見て、那賀川の不良の本性が我慢できずに溢れ始める。

「だから言っているだろう。このクラスの今年の目標を決める。みんな一人一つどうでもいいことを見つけろ。そして極めろ。小さなことだっていい。学校に関係ないことだっていい。強くなることとはそういうことだ。だから俺も目標を一つ宣言した。お前たちを強くすることだってな」

「ちょっと待てよ。それって俺らのことどうでもいい・・・」

キーン コーン カーン コーン

那賀川が文句を垂れようとしたが、彼が望んでいたチャイムが無情にもそれを遮る。

「そういうことだ。じゃ、1年間よろしく」

轟はそう言うと、真っ黒な出席簿と余ったプリントを手に取ってさっさと出て行った。

 

 

「何なんだよあのクソ先公。教師失格だろ!!」

「変な人だったよね」

道端の石ころを蹴飛ばしながらカリカリしている那賀川に、そっと声をかける男。

彼は鉢本響。背は長身の那賀川に比べて、肩よりちょっと頭が出ているくらい。髪の毛はサラサラだが普通の髪型。不良那賀川と並んで歩いているのが不思議なくらいだ。

「響、あんな先公の言うことなんか聞くことないぜ。俺らの事、いつでも見捨てる気だぞ。スパルタが目に見えてるんだよ、ったく」

「まぁまぁ、まだ初日だから。授業を受けてみないとわからないよ」

那賀川の荒れた心を手懐けるのも慣れたものだ。

なぜなら2人は幼稚園からずっと知り合い。いわゆる幼馴染。

高校のクラスメイトは当然知らない奴ばかりだったが、この2人は偶然同じ1年8組になった。

「中学の時も、先公が気に入らなくて殴り掛かったもんなぁ。一歩間違えれば二度と登校できなかったかもな」

「あの時、僕がめちゃくちゃ苦労したんだからね」

この2人にはどうも大変な過去があったらしい。

「それにしても・・・・・・、不思議な教師だな」

鉢本はこれから起こる学校生活での破天荒な出来事を予感させるように、ふと考え始めた。