第4話 壁
「そういえば俺、さっき学校の先生が一番レベルの低い相手だって言っちゃったなぁ」
駐輪場の脇に、一筋の煙がひょろひょろと昇る。
「・・・・・・意味、取り違えてないかなぁ」
学校の教師は、タバコ一本を吸うのにも肩身が狭い。
「まぁ・・・・・、いっか」
グシャリと踏みつぶしたタバコは火種が消えておらず、何かに抗うように煙を吐き続けた。
戦慄が走る教室。
開いた口が閉じない生徒の姿は、酸素を欲する魚のようにも見える。
「はろおおおおおうえぶりぼでぃいいいいいい!!!まいねーむいーーーーーず」
黒板に白い暗号が描かれる。
「(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)!!!!!!!!!!!」
「あ?」
那須川が睨みつける。
「今なんて言ったのかな、あれなんて書いているのかな」
「わかんねーよ、なんもわかんねーよ!!」
鉢本とふたりで、混乱ったらありゃしない。
「ああーーーー、そーりーそーりー!!カタカナは慣れないもんでねえ!!!ちょっと失礼ねーーーーーー!!!」
そういうとその男は、再びチョークを手にした。
Makinohara Journey Kabanosuke
「ま、まきのはら、じょねー、かばのすけ?なんだそれ?」
「じょねーじゃなくてジャーニーだよ」
「なんだよジャーニーって。てか、かばのすけってなんだよ」
やっとの思いでざわつく教室。
「はいはいシャラップだよー?!私の名前は牧之原ジャーニー樺乃助ね!!どう?かっこいいでしょ?でしょでしょ???!!!」
ジャーニーは鼻を高くして言った。
「私、サンフランシスコから生まれね!!数年前に日本に来たんだけど、日本の文化好きすぎて帰化しちゃったのね!!私、日本のために生きていきたいの!!こういうの、何?ブシノナサケ?最高じゃない!!」
全く意味は違うが、あの教師の背景は伝わった。
ジャーニーは、このクラスの英語の教科担当である。公立の高校に帰化した教師がなるというのも、珍しいものだ。
「響、ああいうのなんだっけ。ELT?」
「それはもっちーといっくんだよ」
「あぁ、親がうた○んっていう番組好きだって言ってたわ」
どうでもいい。
「わたしはALTじゃない、れっきとした英語の教師よ!!副担任だってやってるんだから!!」
「どこのクラスですかー?」
一人の女子が質問した。
「もちろん・・・、ここ!!!!」
「「え゛」」
クラスが固まる。
そういえば轟は、副担任の話を全くしていなかった。普通は入学式の後のホームルームで説明するはずだったが、彼は彼の教育論に熱中しすぎて必要なことを全くしゃべっていなかったのだ。
「だからー、このクラスを私は愛しちゃうわよ!!!!!!」
あることに気づいた響は、那須川の耳元でささやく。
「・・・ねぇねぇ、あの人ってもしかして」
「響も思った?ちょっとアレ入っているよな」
そう、アッチ系の人かもしれない。
他の生徒も同じように感じたのか、隣の席の人と話しながら笑う人や、嫌そうに席を後ろに下げる人も見られた。
「うん思った。でも今のご時世LGBTがどうとかいろいろあるけど、ちゃんと受け止めることは大事だと思うよ。話してみると大丈夫だよ、ジャーニー先生も」
「あ、あぁ。別にそんなことまでは考えてねぇけどよ・・・。でもさ」
と言ったところで、那須川がふと気が付いた。
「もしかして、ウチのクソ担任が言っていたのってこのことじゃねぇか?」
「どういうこと?」
「いや、一番レベルの低いとか言っていたけどさ、レベルってつまり心の壁のことじゃね?」
那須川は鉢本に真剣な顔をして言った。
「ジャーニーとかいう人は俺たちから見たら変な人に見えるかもしれないけど、でもあの先公はああいうタイプの人間だってことが俺らにはすぐわかるんだよな」
「そうか・・・、轟先生がいう強い人間っていうのは・・・、いろいろな人を受け入れて理解できる人間!」
「そういうことかもしれねえな・・・」
そういって二人は前を見直した。
そこには、リズミカルにお尻を振りながら黒板に字を書くジャーニーの後ろ姿が見えた。
「だからと言って、理解する必要はあるのかよ・・・」
那須川の目線は黒板を逸れ、窓の遠くをみつめた。