第1話 初顔合わせ

「寒い」

それもそうだ。

4月の札幌はまだ薄らと雪が残っている。

「よりによって、こんなハズレ部屋を引いちまうとはなぁ・・・」

そこそこ大きな体格をしているのに背中を丸めて縮こまっている姿は、猫にも馬鹿にされちまうのかもしれない。

机上に置いてあった出席簿と山積みのプリント類を、血の気もない真っ白な手で掴み取り、彼は部屋を出た。

「遠い」

彼が向かっている先は、増築された建屋。

生徒が増えに増えた時代、教室が足りないからと言っておまけのように作ったらしい。

そこそこ古い学校なので外から見た増築棟はクリーム色の塗装をしており、灰色気味の本校舎よりも新しく建てられたのが目に見えて分かる。

とは言っても増築棟ですら20年以上前に建てられたものだが。

増築棟のデメリットは、寒いこと。

「窓が多いんだよな」

ぶつぶつ言いながら面倒くさそうに歩みを進めていく。

 

 

彼の名前は轟海斗。

北海道札幌陽嶺(サッポロヨウリョウ)高等学校の教師である。

教師になって3年目。今年で30歳になる。

彼は教師になる前に民間企業へ勤めていた。

機械メーカーの技術職をやっていたが、会社の経営方針の変更で営業に回ることになった。

子供のころから大きな夢を持っていたわけでもなく、なんとなく流れで大学生活を過ごしていたらこの会社に行きついた。

仕事をやり始めてから生まれて初めてだ「俺ってこんな人生でいいんだろうか」と思った。まぁよくある話だ。

その会社に4年間務めた後、1年間教師になるための勉強をしていた。

 

なぜ教師を選んだのか。

少子化が進む先細りの業界を選んだのか。

 

 

朝イチから行われていた入学式が終わり、午前11時。

生徒が戻った教室の中は穏やかでない雰囲気が漂う。

初めて顔を合わせた生徒同士だし、落ち着かないのだろう。

「担任の教師がどんな人なのか」というのは、大変重要である。

相性が合わなかったら、不登校になってしまう生徒もいる。

かといって、ナメられる教師になるのもヤだ。

続々と各教室にそれぞれの担任の教師が入っていく。

轟の教室は、職員室から一番遠い。

しかもダラダラ歩いているものだから、いつまで経っても教室につかない。

「何かを始める時って、どうもやる気で無いんだよなぁ」

その気持ちはわかる。ある程度形になり始めたことをやるほうが楽しいよね。

 

ガラガラ

少しざわついた教室の視線が教室の右前方に集まる。

開いた扉から出てきたのは、180cm近くある大柄な体。

プロレスラーのような人間が不機嫌そうな顔して入ってきたので、教室の緊張感はピークに達する。

その男は、黒いファイルと広辞苑より分厚い紙の束をそっと教卓に置いた。

「きりーつ」

何個ものイスが音をたてて動く。

「きょうつけー」

シンとした空気が張り詰める。

「・・・・・・・・・礼、着席」

こいつが今年の担任か。

その姿を見て、恐怖や不安や心配の色が顔に出ている生徒が多い。

轟はそんな様子を全く気にすることなく、口を開いた。

「じゃ、ホームルーム始めます」

彼は白いチョークを手に取った。

「私の名前は轟海斗、今年の1年8組の担任です。」

細かい傷だらけの黒板に、汚ねぇ字で自分の名前を書き始めた。

教師なんだからもっと見られることを意識しなよ。

「年齢は30、まぁよろしく」

ぶっきらぼうな言い方だ、第一印象は最悪だろう。

轟はそんな自分の様子を一切気にすることなく、とりあえず意味はないけど出席を取り、山積みのプリント類を配布し、一通りの説明をした。

時間は11時40分になった。

今日は入学式しか行わないので、ホームルームが終わったら生徒は午前中で帰宅することになっている。

この終始ピリついた雰囲気に耐えられないだろう生徒たちが、しきりに壁掛け時計を気にしている。

轟はそれを知ってかしらずか、ホームルームでやらなければいけないことを終えたあと、口を開いた。

時間が余ったら、生徒たちとコミュニケーションを図るため担任が雑談をする、あの時間だ。

「・・・・・・さて」

次の言葉に、生徒たちは唖然とした。

「俺、君たちに勉強を教える気はないから」

何を言ってるんだこの教師は。

ただの職場放棄じゃないか。

「あ、別に授業をしないわけじゃないよ、建前上は」

支離滅裂だ。

「意味わかるかな?」

わかんねーよ。

「いやーこれさ、おれの持論なんだけど・・・」

轟は突然語り始めた。

 

 

「・・・・・・てな訳で、君たちに授業をしても無意味だと思うんだ」

生徒諸君は口をポカンと開けている。

いいの?

高校の教師たる存在が、こんな考えでいいの?

そんな思考が生徒の頭の中で渦を巻いて常識を破壊していく。

「君たちにとっては常識だと思っていたかもしれないけど、高校は学識を得る場所だなんてただの思い込みなんだよ」

齢15歳の子供たちにとって、轟の思考に付いていくことなど不可能である。

これは高校生デビューしたみんなに伝えていいことではない。

「俺ってさ、心の中で思っていることがすぐ口に出ちゃうタイプなんだよね。だって人間って言わないとわからないじゃん。察する、っていうワード大嫌いなんだ」

ホントなんでも口にするなこの人。

「と、いうことで一年間よろしくね」

轟は姿勢を正し、右手の人差し指を前に突き出した。

「俺に課せられた使命はたった一つ。お前らを、強くする」